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 篠原涼子は事あるごとに小室哲哉(TK)への感謝を口にする。 映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」に関するインタビューでも、「小室さんが曲をくださったことで人生がガラッと変わった」と述べている。

 篠原涼子は1990年に東京パフォーマンスドール(TPD)の一員としてデビュー。TPDの楽曲のいくつかはTKが提供していたが、グループ内で頭角を現してきた篠原涼子を抜擢。94年に篠原涼子 with t.komuro名義でリリースされた「恋しさと せつなさと 心強さと」は、映画「ストリートファイターII MOVIE」の挿入歌に使われるなどして大ヒット。累計売り上げは202万枚を超え、一気に歌手・篠原涼子として世間に広く知られるようになった。

 ちょうどそんな頃、22歳のときにTKの番組で対談した内容が本書に収録されている。読んでいて一気に当時の記憶が蘇ってきた。今でこそ篠原涼子は名女優、あるいは、仕事ができる大人の女性として多くの方々に支持されているが、この頃の印象は、何だか落ち着きのない、ノリノリのおねえちゃんだった。この対談でもTKに対してタメ語というのが驚きだ(笑)。(ただし、後に華原朋美が存在感を強めてきたことで、篠原涼子などは至極真っ当な人だったという認識に変わるわけだが)

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(出典:With t 小室哲哉音楽対論 Vol.4

 そんな篠原涼子だが、幼い頃に母親を亡くすなど苦労した環境で育ってきたことや、ドラマや映画だけでなく舞台にも果敢に挑戦して女優としての技術を磨き続けている姿などを見ると、実際には芯のある強い女性なんだなと思う。少なくとも、TKファミリーの中で大飛躍した人物であることは間違いない。